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オリジナル・二次創作小説や、好きな本の感想を綴るブログです。

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2.地震と原発事故の発生、そして避難

東日本大震災と福島第一原発事故 目次


 私の個人的意見を交えた覚書です。この記事に対する苦情は一切受け付けません。
 愚痴等もありますので、ご不快になる可能性もあります。それでも宜しい方のみ、追記からどうぞ。

 2012/1/16 追記あり。

 

●東北地方太平洋沖地震の発生《3/11(金)~3/12(土) 午前》

 2011年3月11日、午後2時46分。
 その時私は、実は震度6強(7かも知れない)の岩手県にいました。
 車の中でめちゃくちゃ揺れて、車通りの少ない道だったので、路肩で大人しくしていたのですが。
 電線は「切れるんじゃないか!?」と思うぐらいに揺れ、道路はまるでトランポリンの上に乗っているかのように跳ね上がって、4分以上揺れていました。車で走っていたから体感時間は4分ですが、実際はもっと長かったはずです。
 ちょっとした旅行で一泊、のつもりが……予約してあったホテルは停電、シャンデリアも落ち、非常用電源でフロントのみが明るい状況。ましていつ余震が起きるか解らないと言われてしまえば、とても泊まるどころではなく、地元に引き返すことにしました。
 明るい内は「すぐ帰れるよね~」なんて楽観的に思っていましたが……停電のおかげで信号機も、街灯も、店の明かりも、何もかもが消えてしまいました。灯りと言えば車のライトのみ。そんな中、ふと空を仰いで見えた月と星が、いつもよりとても綺麗に見えました(笑)
 ほぼ真っ暗闇の中、南下し、地割れが起きてしまった通行止めの箇所を何度も迂回し、津波が襲った後の道も通りました。泥だらけの溶けかけた雪、ジャリジャリ聞こえるタイヤの音、倒れた電柱、切れた電線を踏まぬように気を付けながら、高台にある駅で2、3時間程の仮眠を取りました。

 朝になったら、まずは尽きかけたガソリンを探しに行きました。どこも売り切れ状態・停電により給油が出来ない状態の中、1軒だけやっているガソリンスタンドを発見し、列に並び。レギュラーを頼もうとしたらレギュラーは売り切れ、ハイオクなら……との事で満タンにしてもらい、再び南下しました。途中、原発の近くも通りましたが……1号機が水素爆発を起こす前なので、多分大丈夫。と、思うことにします。
 そんなこんなで家に帰り着き、まずは1階へ。ドアを開けたら拍子抜け、何も倒れてもいないし神棚の榊も落ちていない。「え、じゃあ2階も大丈夫?」と思ったら……。
 見事にリビングのテレビは倒れ、台所の電子レンジは真っ逆さま、収納庫にあった食品は雪崩を起こし。自分の部屋にいたっては本とCDが散乱してました(笑) 片付けも終わって一息吐いた、と思いきや今度は断水。近くの公民館で3時間並んで、一人3リットルの水を貰いに行き、帰ってみれば……今度は原発爆発のニュースでした。

●原発事故・そして避難《3/12(土) 午後~3/26(土)》

 3/12(土)、午後。突然入った福島第一原発1号機の爆発のニュース。これを聞いた時、私は「爆発? でもすぐに収まるよね~」と呑気に思っていました。放射能のことなんて、何にも考えていなかったんです。
 1号機だけならすぐに収まる、そう思っていたのが今度は3号機も爆発が起き、続いて2号機、4号機とトラブルが発生……。漏れ出す放射性物質、被曝する作業員の方々。その様子を見て、初めて怖くなりました。
 それでも、怖いと言ってもどこに逃げることも出来ません。ネットで情報を集め、後手後手に回る政府と東電の対応にイライラし、それでも祈り続けるしかない日々が突然終わったのは、3/18(金)の朝のことでした。
 朝になって、私が起きた後。父が「出かけるぞ」と言いました。父の友人が空いているアパートを貸して下さるとの事で……既に我が家に避難して来ていた父方の伯父と、離れて暮らしている母方の祖父と叔父を迎えに行き、てんやわんやで何が何だか解らぬまま、栃木に避難しました。
 最初は、行きたくなかった。地元ではまだ、ガソリンがなくて避難したくても出来ない友人がいましたし、私だけ避難するなんて……心が痛みました。けれど、家族と離れることも出来ない。おずおずとメールで避難する旨を伝えた時、友人達は「良かったね」「気を付けてね」と言ってくれました。それが、どれだけ嬉しかったか……同時に、後ろめたさがすごくあって、泣きそうになりました。

 栃木に避難してからは、少なくとも生活面では平和でした。水もガスも電気も使える、計画停電なんて文句を言う程のものでもない。避難してきたからには、原発が落ち着くまでここにいられるものだと……そう、思っていました。なのに、原発の外部電源が復旧し、そして地元の人間が続々帰っているという情報を手に入れた伯父が「大丈夫みたいだから帰るか!」と。
 正直、伯父との共同生活は苦痛でした。今まで自由気ままに生きてきた人ですから、自分勝手で、みんながいろんな事を我慢しているのに、自分の好きなように生活されて……「帰りたいなら一人で帰れ」 何度もそう言いそうになりました。それでも、私にとっては血の繋がった伯父です。見捨てることも出来ず、3/26に地元に戻って参りました。
 伯父はそそくさと自宅へ帰り、呆気に取られたりもしましたが、ああいう人なのでもう何も言えません(笑)

 いつ原発が爆発するか解らぬ地元に戻るのは、本当はとても不安でした。いえ、帰ってきた今でも、本当は怖いです。けれど、私が避難している間も、地元に留まっていた友人がいます。彼女達のことを考えれば、ほんの少しでも、余震や原発の恐怖にさらされることなくゆっくり眠れる場所があった私は、本当に果報者でした。

********************

 【追記 2012/01/16】

 前回の記事と同じく、編集しようともしたのですが、当時のまま掲載しました。下手に弄ると、当時の言葉が全部埋もれてしまうので。
 3月中は本当に、死ぬか生きるかの二択だったような気がします。ネット上では散々不安を煽られましたし、報道だって一方向からしか見えていない。「福島県は終わり」と言う言葉を何度も目にして、泣きそうになったこともたくさんありました。
 次々来る余震よりも、原発の方が怖かったのを良く覚えています。
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