「
瑞香の匂い……?」
森の中を進むヨナの鼻先を掠めた、微かな匂い。シンアがつい、と人差し指をとある方角に向ける。
「……向こう。花、いっぱい」
「花? そしたら薬草もあるかも。行ってみようよ」
ユンの一言で、一行はちょっと寄り道をすることに決めた。脇道に入り、少し歩いた先に、そこだけぽっかりと空いた空間に、空からの太陽の日差しを受け、色とりどりの花が見事に咲き誇っていた。そしてその向こうには、小さな家と、そのすぐ傍の水瓶に桶の水を移している老婆がいた。
「おや、お客さんかい?」
「こんにちは。瑞香の匂いにつられてしまったの」
「ああ、今が一番強く香る時期だからねぇ」
ここに一人で住んでいるのかとユンが問えば、ここで花を育て、時折街に売りに行くのだと老婆は答えた。
「瑞香は……向こうね。花壇にも花がたくさん……すみれに、
芥子の花に、
鬱金香。これは……
竜胆かしら」
淡い紫色のすみれと、橙色の芥子の花。鬱金香は白に赤に多彩な色があり、そして最後に目に付いたのは水色に近い竜胆に似ている花。
「竜胆は秋じゃない?」
「筆竜胆ですよ、春に咲くのは。……何ですか」
背後から聞こえた低い声に、ヨナとその隣にいたユンは驚いて振り向いた。その様子を見たハクが、少しだけ目を眇める。
「……だって、ハクが花の名前を知ってるなんて」
「さんざん離宮の庭に護衛として付いていったんですから、少しぐらいは覚えてます」
そうだった。華やかな離宮の庭にはたくさんの花が植えてあったのだ。自室に飾る花を摘みに、何度もハクと一緒に庭へと出向いていた。
「あ。ユン、頭に……」
「え? 何?」
「動いちゃダメ。蝶が……」
黄色と黒の鮮やかなアゲハチョウが、ユンの髪飾りに止まった。その様は、まるでユンが大きなリボンを付けているようで、阿波での女装を思い出す。
「ふふふっ、可愛いわよ、ユン」
「やめてよね、美少年なのは認めるけど」
ふい、とユンが横を向いた途端に、蝶は髪飾りから離れ、今度はキジャの龍の手に止まり、そして頭の上に止まった。
「おやキジャくん、蝶にも白龍の鱗は効くのかな?」
「そんなわけがあるかっ」
数日前の白龍の鱗事件を揶揄して、ジェハがくすくすと笑う。
「そもそもあれは、そなたのせいであろう!」
「いやいや、あれはオマケで貰ってきた人の責任だよ?」
「ちょっとジェハ、勝手に人のせいにしないでくれる!?」
「アオ……くっついてた……」
ジェハがヨナ達と旅をするようになったから、一行には笑いが絶えなかった。一番年上なのに、一番茶目っ気かあるのがジェハなのだ。
「あら? そういえばアオは……あっ!!」
ずばばば、と物凄い勢いで、花だけではなく茎や葉まで食べてるリスを遠くに発見したヨナが慌てて駆け寄る。
「アオっ、食べちゃダメー!」
「あいつの胃袋は一体どうなってるんだ……」
「リスだからほお袋だよ」
のんびりとそんな会話を交わすユンとハクをよそに、慌ててアオに駆け寄りその小さな体を抱き上げたヨナは、すぐ傍に立つ木に咲く、紫色の花を見つけた。
外側の花びらから内側に向かって、だんだん淡い色になっていくその花の名は。
「
紫木蓮ですね。離宮の庭にもあった」
「うん」
いつの間にか傍にやってきていたハクが、ヨナの視線の先にある花の名を、事も無げに告げた。
「あの庭は……もうきっと、無くなってしまってるわね」
スウォンにとって、ヨナはきっと既に過去だ。緋龍城に残るヨナとハクの面影は全て、捨ててしまっただろう。
「どーですかね。案外、残ってるかも知れませんよ」
「そうかしら」
ヨナにとっての大事な者を奪っていったスウォン。その彼が、庭を壊さずにいるだろうか。
「……きっと」
見上げたハクの瞳には、言葉に出来ない確信があった。
「……どうしてそう思うの?」
「……国政で忙しくてそれどころじゃないと思いますし。それに……」
「それに?」
「いえ、何でも……っつーかそいつ、また食ってますけど」
「ああっ、アオったら! もう、ホントなんでも食べちゃうんだから!」
いつの間にか紫木蓮の木に登り、淡い紫色の花をかじっているアオを慌てて捕まえに走るヨナの後ろ姿を見て、ハクは一人思った。
あの庭は、きっと……スウォンがヨナとハクという過去を切り捨てない限り、ずっと残るだろうと。
暁のヨナ 目次 二次創作Index
最新コメント